三十三間堂は蓮華王院というお寺の本堂の通称である。2018年春に新たに1001体の千手観音立像が国宝となった。
※本堂・木造千手観音坐像・風神像・雷神像・木造二十八部衆立像は既に国宝。
長さが約120mで日本一長い木造の宗教建築と言われている。観音様を拝見しながら歩くと5分はかかると言われる。
目次
誰が建立したのか
1164年後白河法皇の命により平清盛が建立したお寺である。のちに豊臣秀吉により現在の南大門も作られた。この南大門は坂本龍馬とお龍が初めてであったともいわれている。
本堂の中はどのような感じか
堂内の明るさは、まぶしいという事は無く、やや薄暗い感じである。
最初に目に飛び込んでくるのは右端に配置してある日本最古の風神像だ。そこから千体千手観音立像が縦は10列で横は50列の500体の観音様が並んでいる。そしてちょうど中間に中尊といわれる高さ3mで金が施された千手観音座像がお目見えする。こらも国宝である。中尊は鎌倉時代に有名だった運慶の息子である仏師の湛慶(たんけい)が寄木造で4年歳月をかけ作成した。湛慶はこの時82歳。
そしてもう半分がまた縦10列で横50列の500体の千体千手観音立像が並び、その端には右端の対として日本最古の雷神像が見守っている。この約1000体の観音像が金で覆われているのだからお坊さんでも言葉を失うというのもうなずける。
全ての仏像は1032体で国宝。
いつ拝むことが出来るのか
基本的にたどり着けばいつでも拝むことが出来る。
なぜ多くの観音像が集められたのか
数が多いほど信仰が深いとされていた。数が多いので功徳を積めると考えられている。
仏像は同じ表情なのか
全て異なる。細かくいうと、1249年にお堂が消失しており、その火災を逃れた124体の観音様を創建仏といわれ、その後、鎌倉時代に876体の観音様が再興され再興仏と言われている。鎌倉時代に再興された時は、奈良や京都の仏師が腕を競ったと言われている。
仏像を彫刻する際には儀軌と言われる仏像の姿や持ち物が記載された書物があり、基本は決まっているが、儀軌に書かれていない所は仏師の個性を出してもよい所となる。表情は儀軌に記載されていない部分にあたる。その為、観音像は表情や口元、眉等が仏師の気持ちで彫刻されている。さらに錫杖(しゃくじょう)や首飾り、衣などが各観音像で異なる。量産技術がない時代であるから一緒にすることは困難だとも推測される。1000体の中に必ず会いたい人の顔があるという言い伝えもある。
なぜ千手といわれ手が多いのか
千手観音像は実は1000本の手は無い。実は右に20本左に20本の合計40本である。1本の手で25の世界を救うとされ25×40=1000という事で1000の救いがあるという意味である。
40本の手はなにを持っている(中尊)
頭の上には11の顔がある。これは人間の持つ11の悩みに向き合ってくれという事を示している。額の中央部にある丸い点は白毫(びゃくごう)といわれ東方18000の世界に光を照らすという意味がある。40本の手には様々な道具を持っており、あらゆる手をつかって人間を救うという意味がある。宝剣や宝鏡等あるが、その道具の中でも気になるものが髑髏だ。髑髏は普段見えないもの、気づかないものにもご利益があるという意味がある。
ニ十八部衆
婆藪仙人・阿修羅王・金色孔雀王・大弁功徳天・那羅延堅固・緊那羅王・乾闥婆王・大梵天・金毘羅王・金大王・沙羯羅竜王・満善車王・毘楼博叉天・毘楼勒叉天・東方天・神母天・五部浄居天・毘沙門天・迦楼羅王・難陀竜王・摩和羅女・畢婆迦羅王・摩醯首羅王・帝釈天・散脂大将・密迹金剛・摩睺羅王・満仙王
観音像の最前列に位置する二十八部衆は二十八体揃う事が自体が日本全国でも大変珍しい事である。
中尊の真裏の千手観音像
唯一反対を向いている観音像がある。おおむね東方向を向いている中で西を向いた観音像である。
西側を守る目的でそのような配置となっている。お賽銭箱もあるので、その観音像にも参拝をすることで全ての三十三間堂をお参りしたことになり、充分に徳をいただけることになるだろう。
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